船上のメリークリスマス 連合宇宙艦隊提督であり、深宇宙探査任務に着く戦艦ラ・セーヌの艦長。 オスカル・フランソワ・ それは、夫である同艦のチーフカウンセラー、アンドレ・グランディエにも内緒で、彼と偶にシフトがずれて、艦長一人だけで目覚める時にのみかならず行われる事だった。 艦長の自室は、当然ながら居住エリアにある。 家族は夫婦二人だけなので、寝室の他にパーソナルルーム二つとドレッサールームがある4LDK。 ファミリークラスではあるが、2LDKの独身用の二人一組の部屋に毛が生えた程度に過ぎない。 この時代、たとえ艦長といえども私生活での特別扱いはされないのが普通であるから、隣の住人が伍長夫婦でも軍曹親子でも、二人だけの家族の居室は同じ区画での似たような間取りだ。 彼女が生まれ育った時代の身分と環境に鑑みれば、なんと慎ましい生活だろうか。 もっとも、本人は全く意に解してはいないのだが。 惑星居住者からウサギ小屋だの長家だのと皮肉られる船内生活も、住めば都。 召使い三十人以上に匹敵する、完全機械化した生活用品に、有害な雑菌のない衛生環境。常に500M以内に居る医者。必要とあれば、寝室から艦橋。または病院まで転送も簡単な使い勝手の良さは、交通機関や天候に左右される惑星生活には無いものだ。 と、まあ。 実用性を重んずる、生粋の軍人ならではの持論である。 だがしかし。 ここにそんな野営地の如き生活に不満な者が居た。 「まったく。お嬢様をこんなところに住まわせるなんて。あたしゃ情けなくて泣けてくるよ」 ブツブツとぼやきながら、その人物は寝室に続くドレッサールームで軍服を用意していた。 目覚めてすぐにシャワーを浴びる習慣に合わせて、バスローヴやコスメの用意は既に終わっている。 「それもこれも、アンドレに甲斐性が無いからだよ。いつかみっちりヤキを入れておかないとね」 そもそも手際の良さは神業で、ぼやくうちにも着替えの準備は整った。もちろん完璧に。 「さてと、仕上げだね」 くるくると良く動く小柄な影は、まるっちい姿をカウンターキッチンの仕切りの向こうへ消した。 程なく、キッチンから甘く濃厚な香りが流れ出て、リビング&ダイニングを満たしていく。 もちろん、ダイニングのテーブルには、朝食がメインディッシュを出すばかりに待機しており、それを食べる予定の人物を起こすが為。甘い甘いショコラの香りを撒き散らすカップを、掲げた小さなトレイの上に鎮座させて、彼女は寝室のドアを潜った。 「お嬢様。そろそろお起きになられるお時間でございますよ」 閉まるドアの向こうで、ベッドに眠る麗人へ優しい声が掛けられた。 「でさぁ……お俺、い言おうと、お思うんだ。今夜イヴだし」 真っ赤な顔で声を絞り出すのは、当艦の砲術部長。 「いいんじゃないか? ジャン。サロンではバーが開設されるらしいし。雰囲気が出たところでプロポーズ! ばっちりだ」 痩身を椅子の上で折り畳む様にして膝を抱え、銀髪の通信技師が微笑めば、その隣の警備主任がポンと手を打つ。 「それなら、菜園モジュールで花とか見繕ってもらったらどうだ? マリベルの好きな花くらい知ってるだろ?」 ここはブリッジに程近い休憩用のラウンジホール。 宇宙船内に夜と昼の区別はないが、とりあえず地球時間に合わせてある関係上、現在は早朝であり、夜勤のシフトの者達は、残りの5時間を乗り切る為の束の間の休息をとっていた。 ラウンジの片隅には小さなクリスマスツリーが飾られて、乗組員の子供の手製らしき少々いびつなオーナメントが下げられている。 もっとも、ここに集まった連中の目下の関心事は、砲術部長ジャン・シニエの結婚問題の模様。 「う…うまく、い行くかなぁ……」 「だ大丈夫だって。じ自信持てよ」 「感染ってるぞフランソワ」 「おっとと」 のんきな会話は途切れる事がない。 「ででもさ……何て、い言ったらいいかな?」 「お前、そんなのも考えてないのかよ?」 「だ、だからみんなに、そ相談しているんじゃないか」 この期に及んで肝心要のプロポーズの言葉に悩む砲術部長に、仲間たちは揃ってため息をついた。 「プロポーズの言葉……かぁ……」 「な何かこう……ぐぐっとくるようなの……」 うーんと全員で首を傾げた時、ラウンジに男が入って来た。 「お前らここに居たのか。副長が待ちくたびれてたぞ」 コーヒースタンドでカップに濃いコーヒーを注ぎながら、黒髪のカウンセラーが微笑む。と、その長身に思案顔の仲間たちが群がった。 「ちょうどよかった。な、アンドレは何て言ったんだ?」 「そそうだよな。アンドレは昔から学があったし、らラテン語の古典やし詩なんかも知ってるだろ?」 「昔代筆してもらった時、いいのを書いてくれたじゃんか」 いきなり口々に詰め寄られ、頭ひとつ高い場所にある黒い双眸が丸くなる。 「……なんなんだ? お前ら」 白いバスローヴに包んだ艶姿から、薔薇の香りを立ち上らせながら。女提督は満足気にカフェオレを啜っては、微笑を深めていた。 その傍らには小柄な老婦人が、かなり古風だがきちんとしたお仕着せを纏い、給仕をしている。 「ばあやのココットは、相変わらず美味しいね」 女性乗組員の、ほぼ八割を魅了している微笑を惜しげもなくばあやに注いで、オスカルはデザートのイチゴヨーグルトを優雅に平らげた。 「いやですよお嬢様、褒めていただいても、なぁ〜んにも出やしませんよ」 麗人の微笑みを独り占めして、ばあやはすっかりご満悦だ。 それでも、テーブルの上の空の食器を下げる動作は自然でさり気無く、オスカルはさらに笑みを深める。 子供の頃から慣れ親しんだ、ばあやの魔法の手並み。 一度は永遠に失ったものだった。 今また、それを享受する幸運に浸りながら、心の底を引っ掻く欺瞞や傲慢への嫌悪に蓋をする。 自分もずいぶん狡くなったものだと、苦笑は飲み込んだ。 これこそが、艦長のささやかな秘密である。 甲斐甲斐しく出勤準備を整えるばあやは、彼女の生まれた時からの世話係であった、マロン・グラッセ。の、姿と人格、記憶を元に投影されている、実体型のホログラムだった。 千年前に亡くなったばあやのデータを、如何にして入手したのか。顛末は長くなるので割愛するとして。ばあやの実の孫であるところのアンドレも、このパーソナルデータの保持は知ってはいる。 もしかしたら、一人の朝にこんな風に呼び出しているのも、知っているかもしれないが、今のところ彼は何も言わない。 穏やかで我慢強く。深謀遠慮を地でいく夫は、こうしてばあやの記憶に甘える事で、リフレッシュする妻の心を解っているのだろう。 何しろ長い付き合いだ。 「お嬢様、今朝の新聞でございます」 ばあやが気取った仕草でテキストパッドを差し出す。 連邦本部からの通達や、艦内の報告書。その他事前にセットした項目の新情報が提示されるテキストパッドを、ばあやは自分の時代にもあった新聞として認識していた。 「ありがとう」 にっこりと微笑んで受け取り、目を落とす。 そこにうきうきとした声が降ってきた。 「明日はノエルでございますね」 「そうだね」 顔も上げずに気楽に返すと、愉しげな言葉が降ってくる。 「今年は素晴らしい、お誕生日パーティーになりますでしょうね。皆様お楽しみにしていらっしゃいますから」 ばあやは過去の記憶が主なデータだから、たまにジャルジェ家に居るかのように話す。 だからオスカルは調子を合わせて微笑んだ。 「楽しみだね、ばあや」 副艦長のアラン・D・ソワソンは、いい加減ぼんやりしてきた頭に活を入れるべく、カフェインを求めてラウンジにやって来た。 と、そこには。いつまでたっても休憩から帰って来ない連中が、輪になって油を売っている。 怒鳴りつけてやろうかと思ったものの、なにやら酷く真剣な顔をしている部下達と、真剣というより困惑した珍妙な顔のカウンセラーという取り合わせに興味がわいた。 「……ま、俺のプロポーズは置いといて。借り物より、自分で考えた方がいいと思うんだけどな」 苦笑しながらそう言うアンドレに、警備主任が食い下がった。 「でもよ。アンドレと違って、俺ら学も無いしさ」 「学ってなぁ。もう、字も読めるどころか、艦隊士官として立派な専門分野の知識もあるだろうが……」 カウンセラーはなおも渋り顔だ。よほど自分のプロポーズの言葉は言いたくないらしい。 「そそりゃ仕事はさ、でも、おおいらたちにはこう……し詩的っていうか…そ、そう! ぶ文学的な才能がないんだ」 「その点、アンドレの文才は衛兵隊でも有名だったし。ほら、たま〜に昔のよしみとかで近衛の方からも代筆頼みに来ていたくらいだったしさ」 彼らが生まれた時代、衛兵隊の文盲率は6割を超していた。それに対して文字が読めて当たり前の教養が要求される、近衛からも代筆を頼まれていたかつての従卒。 つまり、どれだけその文才を評価されていたかの表れだ、と考えているのだろう。 「それにさ〜あの隊長落としたのって、どんな台詞だったのか。聞きたいし」 それは確かに興味があるな。濃いコーヒーを啜りながら、副長の口の端が上がる。 「けどさ、もしお前が言われるとして、ドラマや映画のパクリや、他の奴から聴いた言葉を言われたら興醒めするだろう? 一生に一度にしておきたいなら、自分の言葉でしっかり言うべきだろ? な? どう思う? それに、マリベルはタラクシオン人と地球人の混血だから。ロマンティックよりはむしろ、実用的な事の方が好きな筈だぞ」 言って堪るかという意志がちらちらと見え隠れしつつも、カウンセラーらしい口調で諭し始める。さすがに口が商売道具なだけあって、絶対聞こうと好奇心満々だった部下たちも、ついつい考え込んでいるようだ。 「マリベルが本当にはどんな子なのか、知ってるのはジャンだけだと思うよ。その彼女の為に、お前が考えた言葉が、一番胸に響くと思うな」 すかさず追い討ちに入るタイミングは、心理学を修めただけはある。 砲術部長はすっかり沈黙した。 それにしても、そこまで言いたくないプロポーズの言葉とは……どれだけこっ恥ずかしいこと言いやがったんだ? とまあ、端で聞いている分には、俄然そっちに興味が湧いてきた。 「あ〜それと。場所は絶対ホロデッキで、どこかの惑星の公園か景色のいいところを呼び出して、にしとけよ。サロンなんかでしたら……いい見世物だ」 途端に全員が顔を見合わせる。指摘されるまで、まったく気がついていなかったのに違いない。 「うわぁ……あ危なかったぁ…サロンでお酒飲んで、な何て考えてたよ」 「ヤバかったなぁ。ジャン」 「じゃあさ、月の静かの海国立公園なんかどうだ? あそこならでっかい湖もあるし、地球の出見ながらだと雰囲気いいぞ〜」 みごとな事で、仲良し三人組の意識はすっかり別に逸れた。 カウンセラーは、さりげなく止めを刺す。 「ノエルのホロデッキは予約が大変だろう? 早くチェックしたほうがいいぞ」 ここで現実に引き戻したか。副長のシニカルな笑みが深まる。 狙い通りジャン達は顔を見合わせて慌てだした。プロポーズの言葉云々よりも、ホログラムデッキの利用可能時間の方が急務だ。 「こ…こうしちゃ居られない」 「そだな。急がないと」 ジャンが腰を上げれば、通信技師もあたふたと立ち上がる。こいつは本当に人がいい。 「じゃ、アンドレ。相談してよかったよ。あ……副長」 警備主任がそういって出口を向いて、コーヒースタンドで渋い顔をしてみせる副長にやっと気がついた。 「ずいぶんごゆっくりな休憩で」 嫌味たっぷりな口調に、三人はそそくさと出口へ向かう。 「あはは…持ち場に戻りま〜す」 愛想笑いを残して去っていく三人を見送って、副長はほっと肩の力を抜いたカウンセラーに近寄った。 「お疲れさん」 湯気の立つ新しいコーヒーのカップを差し出せば、カウンセラーの苦笑が深まる。 「メルシ」 短い礼を述べて受け取った黒髪の男が、ゆっくりとコーヒーをすするのを見下ろし、アランも黙ってカップを傾けた。 「……興味津々で聴いていたくせに、聞かないんだな」 男二人で寄り添ってのコーヒータイムという、寒い時間に耐えかねてか、アンドレが口を開いた。 「訊いて話すなら、あいつらに話してるんじゃないのか?」 副長が肩を竦めると、カウンセラーは困ったように苦笑する。 「言えるんなら言うんだけどな」 謎めいた返答に、アランの視線が落とされた時。ラウンジの扉が開いた。 「アラン・ド・ソワソン。ここにいらしたのですね」 途端に副長の太い眉が顰められ、反対にカウンセラーは満面の笑みを浮かべる。 「エリザベート内親王殿下」 わざわざ立ち上がると、古風な、本当に古風な宮廷風の礼をしてみせる。アランはますます渋い顔になった。 「アンドレ。相変わらずあなたは礼儀正しいわね」 そう言いながらにこにこと、扉の前で笑みを浮かべるのは。 栗色の髪を高々と結い上げ、船内通路をよく通れたなと首を捻りたくなるほど横に張り出す、鯨骨パニエで膨らませたスカートの、十八世紀ロココ風の貴婦人だった。 「……で? なんの御用で? チーフドクター」 あくまで尊大に踏ん反り返って、アランは千年前の王族であり、現在はラ・セーヌの医務部長に嫌々声をかける。 が。 「いやぁね、エリーって呼ぶ約束よ、アラン・ド・ソワソン」 副長の様子などまったく意に介せずに、貴婦人は頬を染めてダチョウの羽の扇で顔を隠して見せた。 「エリーなんて可愛いタマかよ。いちいち人の事フルネームで呼び捨てやがって」 やれやれと肩を落とす横で、アンドレはさりげなく口元を押さえて横を向く。それでも肩の震えは隠しようがないのだが、アランは無視をする事に決めたようだ。 「とにかくだ。勤務時間以外にどんな格好をしようがあんたの自由だが、わざわざ見せるな。胸糞悪い」 言い捨てて脇をすり抜けようとしたものの、巨大なスカートに阻まれた。 「わたくしが、好きでしているとでも? 貴方の勤務時間外に来てくださる様にお願いしても、まったくおみえにならないから、わたくしが自分の勤務時間外に参りましたのよ。そろそろ観念なさいませ」 パチンと閉じた扇の先を突きつけて、笑みを消した貴婦人が仁王立ちになる。 「御免蒙ると言った筈だ」 そもそも笑みなど欠片もないまま、副長が睨み返す。 だがしかし、彼の立場は弱かった。 「貴方に断る権利はありませんことよ? アラン・ド・ソワソン。わたくしに負けたのは貴方なんですから」 医務部長はにっこりと微笑み、背後からカウンセラーが追い討ちをかけた。 「アラン、諦めろよ。ポーカーの勝負で負けたんだからさ」 厄日だ。 ぐっと喉で唸り、副長は天井を仰ぎ見た。 「叔母からの伝言です。今夜、 本日の最終報告データを持ってきた青年士官が、艦長席に座る金髪の麗人に微笑んだ。 「ほう。それはぜひ出席しよう。大切なノエルの行事だ」 にっこりと微笑む准尉は、艦長の返すデータパッドを受け取って敬礼をする。 「はい。それとミサの後に、自室に来てもらえないかと」 「チーフドクターが? 珍しいな」 軽く小首を傾げつつ、艦長はゆっくりし微笑んだ。 「お伺いすると、伝えてくれたまえ」 何が待ち受けているのか。その時の彼女は知る由もなかった。 二八世紀。 人間が宇宙に進出し、聖書の天地創造なんかより、ダーウィンの進化論の正しさを日々確認していたとしても。まったく異なる進化と文明と神話を持つ異星人と出くわして、交流していても。人々の間から信仰が消える事はない。 かつてのような盲目的な狂信さは無いにしても、神の教えを信じ、心の支えとする者は少なくはなく。そして時間移民者は、現代人よりも更に信仰心は深いのだ。 志半ばで命を落とした筈の自分が、こうして時代は違えても無事に生きて、我が道を進めているのは、やはり神の意思に拠るものではないかと思えるから。 オスカルとアンドレもまた、十八世紀のフランス人として当然ながら敬謙なクリスチャンである。 ホログラムによって作り出された、パイプオルガンの響く荘厳な寺院の中で。二人を含む参列者達は、幻影の司祭の説教に頭を垂れて聞き入り、厳かなミサに浸った。 ミサが終われば時計は日付を変えて、ノエルとなる。 常ならば夫婦二人だけでワインなどを酌み交わし、降誕祭と妻の誕生日を同時に祝うのだが、今年は少し違っていた。 夫はミサを終えて出口へ向かう人の流れから妻を引き出すと、そのまま二人で柱の陰に身を潜ませた。 「アンドレ。どうした?」 不思議そうに見上げるオスカルに、彼女が黒曜石と呼ぶ双眸が、少し悪戯を含んできらきらと光る。 とても見覚えのある光り方だと思った。 そう、遠い昔。 まだ二人の背が同じくらいだった頃によくしていた。 庭でトカゲを見た、だの。軒にツバメが来た、だの。アリの巣を見つけた、だのと言っていた時の目。 いや。それよりも何よりも、あの半月に満たない恋人の日々。 よく晴れた日にカーテンの陰に自分を引きずりこんで、くすくすと笑いながらキスをした。 あの時瞳はひとつきりだったけれど、やはり今のようにきらきらとしていて…… 思考は、思い出のままに降りてきた唇に遮られた。 しっとりと暖かく弾力のある唇が重ねられ、オスカルはいつも、官能のざわめきと安堵感の二律背反に苛まれる。 大きな手は、彼女の背中と後頭部をしっかりと支えてくれるから、いつでも安心して全身を任せられるのだ。 やがて重ねるだけのキスから吸う様な動きが加わり、軽く啄ばむのは、中へ招いてほしいという合図。 戸惑いも無く受け入れて、深く舌を絡ませあう頃には、妻の細い腕は夫の首にしっかりと巻きついていた。 十分に堪能し名残惜しげに唇が離れると、自分達が聖堂の柱の影で行なった秘め事に頬が熱くなる。 「……こんなところで」 たとえ本物ではなくとも、やはりノートルダムには変わりは無い。 頬を染めて、なんとも迫力無く睨む妻の耳元へ、アンドレはそっと唇を寄せた。 囁く言葉は、 「 子供の頃から変わらずに、アンドレから一番に送られる愛情。 オスカルは抗議も忘れて深く微笑んだ。 「メルシー。Joyeux Noel.アンドレ」 「今言わないと、他の奴に先取りされるからな」 たまに見せる独占欲。オスカルは満足そうにそしてくすぐったく、肩をすくめて笑いを漏らす。 「エリザベートのところから戻ったら、いつもの様にノエルの そう言って夫の頬に白い手を添えると、すかさず顔をずらして掌にキスをされた。 「じゃあ、待ってる」 視線を絡ませ微笑み合うと、再び軽く口付けてから、夫婦は何食わぬ顔で出口へと向かった。 そして一時間ほどの後。 艦長の姿は再びホロデッキの中にあった。 しかし、常の彼女を見慣れている乗組員たちも、初めて見るその姿に息を飲んで見つめるばかり。 何しろ彼女は、正式なローヴ・デ・コルテなる、千年前の古式豊かなドレスに身を包んでいたのだから。 豊かな金髪はゆったりと結い上げられ、唯一のアクセントとして白い大輪の薔薇が一輪あしらわれていた。 ドレスは白地に銀糸の刺繍とレースがふんだんに施されたもので、深く広がる胸元には、細いプラチナのチョーカーが、ダイヤとサファイアの雫を垂らしている。白と銀のドレスの中で、唯一の色彩が、本人の瞳を写したような明るいライトサファイアの青だった。 清楚でありながら豪華。気品も高く威厳すら醸し出す。 しかし当の本人は、困惑と不機嫌を隠す事無く顔に出し、しかも化粧は現代風のナチュラルメイク。隣で満面の笑みをこれでもかと振りまくゴージャスな貴婦人との対比に、彼女の抵抗のほどが現れているといえた。 事実、部屋に行くなりエリザベートと数人のナースに捕獲された艦長は、先日のポーカーでの負けを理由に無理やりドレスアップされたのである。なにしろこの元内親王殿下は、カードゲームをめったにしない癖に、なぜか異様に強かった。 彼女が現れた時点で、勝負を投げ出して逃げればよかったと、後悔したが今更である。 それにしても、何故こんな格好をしないといけないのかが解らない。 「どういう事なんだ? エリザベート」 低くたずねる艦長に、医務部長は更に笑みを深めて…つまりにんまりと笑って見せた。 「エリーって呼んで。それがわたくしへのノエルの贈り物よ」 「……それじゃ答えになってねぇだろ」 反対側から、怒気すら含んだ唸り声が発せられる。 貴婦人の反対側で、さもオスカルをエスコートするように歩くのは、これまた苦虫を噛み潰したような顔の、豪華なルイ王朝期の将軍姿をした副長だった。 「ではアラン。これはどういう事だ?」 矛先を副官に変えれば、曲がりなりにも本物の将軍(ナポレオン軍の、だが)はやぶ睨みになった目を正面へ向けて顎をしゃくった。 「ノエルのレヴェイヨンだそうでさ」 ラ・セーヌで一番大きなホロデッキは、50uほどの小ホールだ。パノラマ幻影や実体化させた映像を巧みに使い、広い平原にもリゾート海岸にも変わる娯楽施設であり、模擬実践訓練の場所として重宝がられる設備である。そしてそこは今や、本来の何倍もの面積を持つ、豪奢な宮殿のパーティー会場と化していた。 興味津々といった顔つきで会場に立つ乗組員達は、みな一様に凝った貴族の仮装をしている。 男は白い鬘をつけた者がいるし、女は調べて面白かったのか、頭に帆船模型を載せたのまでいた。 ただ、その顔が。普通の地球人に混じって、額に触覚のあるアンドリ人の蒼い顔だったり、ハールカンの尖った耳だったりするのはシュールな光景だ。 まるで『夏の夜の夢』に出てくる、妖精の晩餐会を思わせた。 「ルイ王朝時代がコンセプトの仮装パーティーなんです」 副長の後ろから、浮き立つ気持ちを抑えきれない華やいだ声が飛んでくる。 「ディアンヌ。綺麗だね」 黒髪に映える鮮やかな新緑のドレスを纏ったチーフナースは、ごく自然に出た艦長の男性としてのほめ言葉に頬を染めた。 「ありがとうございます。艦長もほんとにお綺麗ですわ」 世辞のひとつも言えそうにない兄に代わって、妹は優雅に礼をしながら微笑んだ。 「それと、お誕生日おめでとうございます」 ディアンヌが言った瞬間、奇妙な呻きが降ってくる。 「兄様? どうなさったの?」 きょとんと見上げる妹に、将軍はなんでもないと首を振った。 そういえば、アンドレは別格として、エリザベートやナース達にも誕生日祝いは聞いたが、この男からは何も聞いていなかったなと思い至る。 「さては貴方。今やっと聞いて思い出したではなくて? オスカルの誕生日」 すかさず反対側から茶々が入る。 「ば…んなわけあるか。だだ……正面から祝われて嬉しい年なのか? って考えてただけだ」 エリザベートの突っ込みに、思わず本音を言い返したらしい副長は、しまったという顔で艦長を盗み見た。 もちろん、失礼な物言いに麗人の口元は引きつっていた。 「アラン。今度特別訓練をしてやろう」 「兄様最低……」 二人の美女から睨まれて、アランはバツの悪さにそっぽを向いた。 「ほんとうに、口は災いの元ですわね。将軍。でも些細なことより夜会を始めましょう」 医務部長が、副長の失言へ珍しく突っ込まずにフォローを入れると、白い手を前に向けた。 「さあ、はじめはまず、陛下にご挨拶をしてから。ですわ」 何が些細なものかと、少しふてくされていたオスカルも、促されるまま前を見れば。数段高くしつらえられた雛壇の上に玉座があり、そこに二人の王が並んで座っていた。 ブルネットの青年は黒貂の縁取りのマントとシンプルな金の王冠を被り、濃い緑のローヴを纏って威風堂々と座っている。 エドワード五世が、無事戴冠式を済ませて治世を行っていたら、こんな風だったのだろうと思わせる姿だ。 そしてその横で、少し照れたように座るのは。伝統の王冠を載せ、少し伸びた金の髪をふわふわと揺らし、雪豹の毛皮に縁取られた赤いマントを肩に掛けた青年王。 思っていた通りに、その姿は彼の実の父の姿を髣髴とさせる。 遠いあの日。 ムードンの木陰で切なく見上げてきた、儚い瞳にどれだけ切望した姿だったか。 たとえ仮装パーティーの余興とはいえ、かつての夢の名残に震えかける吐息を飲み込んだ。 オスカルは玉座の前に着くと、おそらく生まれて初めて貴婦人として正式な礼を執った。 「両陛下におかれましては、ご機嫌麗しゅう」 優雅に裳裾を広げて膝を折る麗人に、二人の青年王はわずかに頬を染め、コホンと咳払いしてから精一杯の威厳を持って頷いて見せた。 「健勝で何より。オスカル・フランソワ」 そしてちらりと顔を見合わせると、声を揃えて口を開く。 「 「 ルイ・ジョセフ(今夜は陛下)が立ち上がり、楽隊の方へ合図を送ると、メヌエットが奏でられ始めた。 「さあ、ガルトのノエルをはじめよう。マダム・オスカル。二曲目のダンスはぜひ私と」 優雅に微笑む王に、オスカルは青い目を細める。 「喜んでモンセニョール」 「では、栄えあるファーストダンスは御夫君と」 エドワード五世が示す先には、漆黒の貴公子が立っていた。 黒い絹のジレには、実は細かな刺繍が縫いこめられ、動く度に光沢が変わる。サッシュや靴、キュロットに至るまでつややかな黒で纏められ、深い藍色のクラヴァットが唯一の色だった。 思わず見蕩れた妻と同じく、ぼんやり白銀の貴婦人を見つめる夫の背を、小柄な影が押す。 「ほら、何ボケてるんだい! この甲斐性無し。お嬢様をお待たせするんじゃないよ!」 驚いた事に、目いっぱいおめかししたばあやが、孫息子をどやしつけている。 そこでやっと、今朝の会話の意味を理解した。 過去の追憶などではなく、ばあやはしっかりこの艦内で地盤を固めていたらしい。 さすがはジャルジェ家の実力者。 コピーといえども、ばあやは侮れない。オスカルは、祖母に促されるまま、それでも優雅に歩み寄ってくる夫を苦笑で迎えた。 そっと妻の傍に立てば、白と黒の見事な一対が出来上がる。 「オスカル。すばらしく綺麗だ」 手を取って指先に唇を落としながら、アンドレが微笑む。 夫の言葉に妻は極上の笑みで応えた。 「どう言う事か、後で説明してもらうからな」 笑みはそのままに、脅し文句が飛び出してくる。だが、こんな反応なんて慣れっこの夫は、華やかなウィンクで切り返す。 「 「 ニヤリと笑い返されて夫が肩を竦めれば、貴婦人の手が優雅に差し伸べられる。 「モン・シェリ。一曲お相手を」 「ウイ、マ・シェリ」 会場に流れるメヌエットにあわせて、二人はステップを踏みだして踊りの輪の中へ入っていった。 今宵、宇宙全てに、Joyeux Noel. fin |
|
|